お待たせしました。やっとW6ANAになりました。これで50の手習で毎日一局を目標にした3ケ月間の7メガ CW QSOと筆記試験問題を丸暗記してエクストラに挑戦した甲斐がありました。日本を離れて丸14年でJK1ANAがW6ANAに生まれ変わりました。アメリカという国は実に柔軟な国で、車のライセンスプレートが好きな単語で貰えるのと同じようにハムのコールサインも少し余計にお金を払えば($30)好きなものが貰えます。(勿論資格による制限はありますが....)これは当然FCCの収入になる訳で少しでも財政の助けをするためにお役所がアルバイトをやっている様なものではないでしょうか。日本のお役所もう少し大向こう受けする施策を考えて欲しいものです。私がハムを始めて40数年、以下が「私のコールサイン変遷史」です。 ![]()
JA3AZZ1959年の電話級第1回で合格。旧2級がJA3AY#の中頃で終わっていたので何とか「Aコール」が欲しくて塩見君(JA3BAK)と二人で大阪阿倍野の「電監」に申請書を持って行ったことを覚えています。熱意が実ったか「Aコール」の最後に滑り込みました。しかし、貰ったのも束の間高校受験のため落成検査を受ける前にやむなく廃局。
JA3BTP
1960年、再開局のため申請。元のコールを書くのを忘れて、きたのがこのコールです。7メガの電話から始め、電信級、2級とアップグレードしたのもこの時期でした。1966年頃まで結構アクティブにやりました。この頃のリグは送信機はファイナル807シングルにハイシング変調と受信機も自作ダブルコンバージョンのものでした。アンテナは12mくらいの竹竿に吊り下げたグランドプレーンだったと思います。社会人になって他のことに忙しくハムから次第に遠ざかりました。
JA3AZZ ![]()
1972年、結婚後、暫くして昔の思い出を辿り再申請。今度は忘れず元のコールを書いてめでたくJA3AZZに戻りました。ぼつぼつ自作の時代が終わる頃で、大阪、箕面のアパートからFT101とグランドプレーンで初めてSSBなるものでオンエアーしましたが、TVIをふりまき顰蹙をかいました。1973年、東京転勤となり千葉県の市原市からJA3AZZ/1でオンエアー。
JK1ANA
神奈川県綾瀬市(当時は綾瀬町)に引っ越し、1976年、JK1ANAとなる。2級なのに何故か「オカマ」と炊いてWORKED 200を超えました。1983年、日本におさらばして渡米。
.....というわけで、ハムのコールサインとアップグレードはこれで「あがり=END UP」です。次なる挑戦は?????
(QSLは全日空のボーイング777、写真は最近のW6ANA=左)
1996年11月26日
DE W6ANA FRED HIROO HAGIHARA